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三木町希少糖研究研修センター

〒761-0615 香川県木田郡三木町大字小蓑1351-2

Matsutani Chemical Industry Co.,Ltd. Izumoring Lab.

希少糖秘話SECRET STORY

希少糖秘話:これらのコラムを一冊の本として「希少糖秘話」を発行しています。
 [出版物]の部分をご覧ください。

                                          2003年2月16日

まえがき

 希少糖に関する研究を細々と30年以上も続けてきた中で、私が興味深いと思ったことを中心に「希少糖秘話」として自由に書かせていただくことにする。順不同に私の希少糖研究の流れなどを中心に、「個人的な内容」となることをお許し願いたい。希少糖研究の役に立つかどうかは別として、一息入れてもらう時にお読みくださればと思う。このような機会でもないと執筆することもない内容なので、機会を作ってくださった、国際希少糖学会の編集委員の皆様、特に香川大学農学部の深田先生に感謝したします。                                 

香川大学希少糖研究センター 何森 健

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 この「まえがき」を書いたのが、2003年であった。その後、隠れた希少糖秘話のファンがおられるというのを知り、4年間のブランクの後第四話書きました。

 発表する場所はどこになるかは分かりませんが、一つずつ書いたものを関係のHPで公開することとします。また次の話が4年先になるかもしれません。

 何森 健 

第4話 落穂拾い的研究を枚挙の精神で

                                     2008年2月28日

1.大根ねぶかの研究

 「大根ねぶかの研究」とは、独創性の無い研究のことをさしている。つまり、大根を使った研究が発表された。これを見て「これは面白い。自分は ねぶか でやってみよう」という研究姿勢を物真似的であるという批判の意をこめて言われた言葉であり、何度となく耳にしてきたものである。別の表現もいろいろあり、基本的な構想はそのままで材料だけをいろいろと変えた研究は、後追い研究であるという訳だ。独創的研究をやらねば駄目だという戒めの言葉である。研究生活を始めた若い頃、私もこの忠告に従って、独創的研究をやろうと常に座右の銘というような言葉であった。・・・本当に大根ねぶかの研究はそんなに駄目な研究であろうか?

 ある時、江上不二夫先生の若手研究者への衝撃的なアドバイスを耳にした。研究姿勢についての対談かなにかで、話されたのを聞いたのだと思う。「新しいものを追って研究をするのもいいが、“枚挙の精神”をもとにひとつひとつ地道な研究の積み重ねが大切です。」というような内容であったと記憶している。江上先生がこの枚挙の精神をどのような意味で言われたかについては、残念であるが講演を含めて直接お話をうかがう機会を持てなかったのでさだかではない(実は江上先生が本当にお話しになったかどうかも、確かではないのであり、私の個人的な勝手な思い込みかもしれないのである。)。しかし、私がこの言葉を聞いた時に残った感慨は、非常に大きい衝撃として今も残っている。「大根ねぶかの研究も大切である」という意味ではないかと感じたのである。若い頃の私にとっては、大切な枚挙の精神との出会いであった。

2.枚挙の精神の危機?

 「枚挙の生物学」という言葉がある。この場合に使用されている枚挙の意味は、独創性のない重箱のすみをつつくような研究姿勢を批判的に表現している。最近使われている枚挙という姿勢は、どうも「大根ねぶかの研究」という姿勢と同時に「計画性の無い研究」というような意味が加味されているようである。網羅的で体系的な姿勢こそ重要であると、枚挙の研究を戒めているのであろう。

 私が大切にしてきた“枚挙の精神”は、今や批判の対象になっているのである。これは少々心安からぬものがある。


3.トランプは1枚でも札が無いとゲームはできない

 私の研究の方向をいろいろ模索した結果、当たり前の結論に達した。自分の研究環境でも自信を持って「独創性ある」研究のできる素材を用いた研究をやろう。そして、誰も注目していない希少糖を研究対象としよう、という単純な発想からスタートした。そしてまず、希少糖を作ることから始めた。何故希少糖の生産の研究から始めたか。それは、希少糖は試薬として非常に高価であり、私の研究環境では、購入して用いることのできる研究対象ではなかったのである。すなわち、あまりにも高価であり入手できず、仕方なく「作ることから始めてみようか」というのが現実であった。

 炭素数4、5および6の単糖の希少糖の数は、トランプの札の数程の約50存在する。私の研究室では、希少糖をひとつひとつ生産し、そのコレクションを作るというような趣味的に見える研究を躊躇無くおし進めた。こんな時、江上不二夫先生の「“枚挙の精神”をもとに、ひとつひとつ地道な研究の積み重ねが大切です。」というアドバイスが大きな指針となった。

 私は「トランプは1枚でも足らなかったら、ゲームはできない。だから希少糖を全部作る必要がある。」と無理のある理屈をもとに、希少糖のコレクション的研究との批判に対抗してきたのであった。このコレクション的研究は、まさに枚挙の精神による研究であった。

 ここには重大な落とし穴がある。トランプはカードが揃ったらゲームができるが、希少糖は全部が揃ったら何ができるのか? これが大問題として残ることなど“気にもとめず”に、コレクション的研究を“枚挙の精神”で進めたのであった。

3.落穂拾い的研究

 もう一つ、江上不二夫先生の言われたと私は思っているアドバイスがある。それは「落穂拾い的研究も大切である」という言葉である。これも江上先生が言われたというのは、私の勝手な思い込みかもしれない。私の理解はこうである。 

 ミレーのあの「落穂拾い」の光景を思い浮かべてほしい。大部隊の刈り取りがドドドーと進み、ほとんどの穂は収穫されてしまっている。それでも刈り残された落穂を貧しい農民が拾っている。このミレーの落穂拾いを見ての第一印象は誰しも、貧しい農民の生活の苦労を思い浮かべるに違いない。

 私はそうではない。大部隊が刈り取った後には、まだまだ落穂が残っているのである。麦にも栽培していると多くの変異株が生まれる。その落穂の中に、まだ誰も見つけたことの無いものが残されているに違いないと思うのである。決して暗いイメージではなく、このミレーの落穂拾いの絵を観ると「お先にどうぞ。まだまだ素晴らしい穂は残っていますよ。」という気持ちでゆったりと、残されている落穂を拾い集め家庭に持ち帰り、一家団欒で美味しく食べる光景が目に浮かぶのである。

 落穂拾い的研究というのは、怒涛のように研究が進む最先端の研究は「お先にどうぞ。私はゆったりと落穂を拾うように、皆が見逃している研究をじっくりとやりますよ」というイメージなのである。


4.落穂拾い的研究を枚挙の精神で

 「落穂拾い的研究をするという姿勢」は、私にとっては重要であった。大研究部隊が最先端の機器を駆使し、優秀な人材を多数集めてどんどん進めていく。そんな研究を横目で見ても、自分は「じっくりと、ゆったりと」、独自の方針で研究を進めるという心の支えとなった。

 「枚挙の精神での研究」は、多くある単糖(希少糖)を次から次へと、ひとつひとつ、少しの構造の変化しかない似通った希少糖を作る作業を“大根ねぶかの研究”を行なった。どのように評価されようと、希少糖の全体像を明らかにするには欠かせない「重要な研究だ」として続ける心のサポートになった。

落穂拾い的研究は「希少糖」を生み出し、枚挙の精神での研究が全希少糖生産戦略としての「イズモリング」を産出す基盤的な考え方となったように思う。




江上不二夫
1910-1982
東京に生まれる。日本における生化学の導入・普及の貢献者であり、戦後における
進歩的科学者のリーダーの一人。













「落ち穂拾い」
ジャン・フランソワ・ミレー(1857年)
【Jean Francois Millet】(1814−1875)
オルセー美術館所蔵











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